


歴史文化
ヨーロッパで大航海時代が始まった15世紀末の1488年に、ポルトガル人のバルトロメウ・ディアスがアフリカ大陸南端の喜望峰に到達。1652年にオランダ東インド会社のヤン・ファン・リーベックがこの地に到来し、喜望峰を中継基地とした。以後オランダ人移民が増加し、ケープ植民地が成立した。18世紀末には金やダイヤモンドの鉱脈を狙ってイギリス人が到来。19世紀初頭にケープ植民地はオランダからイギリスへ正式に譲渡され、イギリス人の移民が大量に流入することになる。植民地化によって英語が公用語となり、イギリスの司法制度が持ち込まれるなどイギリスの影響が強まった。1910年5月31日に、4州からなる南アフリカ連邦として統合され、大英帝国内のドミニオン(自治領)としてアフリカーナーの自治を確立する。1913年には、原住民土地法といったアパルトヘイトの基盤となる人種差別法を立法化し、以後人種問題がこの国の大きな問題となっていき、1985年には黒人による暴動が勃発し、非常事態宣言を発令。アメリカや日本などを含む諸外国から経済政策を受け、1991年にアパルトヘイト廃止されるまで続く。1994年には全人種参加による南アフリカ共和国の総選挙(初)が実施される。アフリカ民族会議が勝利し、ネルソン・マンデラが黒人は初の大統領に就任。1997年に新憲法を発行する。
政治
南アフリカ共和国は、1989年9月のデ・クラーク大統領就任以来、アパルトヘイト撤廃に向けての改革を進めています。その集大成として、1994年4月に南ア史上初めて黒人を含む全人種参加の下で総選挙が実施され、5月9日にマンデラ大統領が選出されました。 外交面では、1994年にアフリカ統一機構(OAU)及び非同盟諸国会議への加盟(5月)、英連邦への再加盟(6月)を果たしたほか、国連総会での議席を20年振りに回復(6月)しました。1994年8月には南部アフリカ開発共同体(SADC)へ加盟しました。 現政権のムベキ大統領の外交方針は、南アフリカ共和国がアフリカの構成員であるとの認識の下、(1)南部アフリカ及び他のアフリカ諸国との政治的連帯及びSADC等を通じた経済的協力関係の強化。(2)国連等の国際機関への参加を通じた平和・民主主義・人権擁護への貢献の重視。(3)政治のみならず経済・開発等の重要分野における欧米諸国や日本とのこれまでの協力関係の維持・発展。(4)アジア諸国や中東諸国等との新たな経済関係の強化を目指す。という各点にあります。
経済
南アフリカ共和国は、サハラ以南アフリカ全体のGDPの約4割を占め、アフリカ経済を牽引する役割を担っています。 1996年、政府は、金融政策・貿易の自由化、財政赤字の削減、投資インセンティブの導入、徴税の強化、公営企業の民営化、賃金上昇緩和による雇用の拡大、為替管理の段階的緩和等を掲げたマクロ経済戦略(GEAR)を策定し、以後、自由化による経済成長戦略を標榜しています。
気候
アメリカ大陸の最南端に位置する南アフリカ共和国は、東はインド洋、西は太平洋に囲まれた自然豊かな国です。気候は地域により大きく異なりサバンナ気候、ステップ気候、温暖湿潤気候、地中海気候など多彩。内陸部にある首都プレトリアやヨハネスブルグは海抜1300~1700メートルに位置し、一日の寒暖差が大きい。
治安
南アフリカは、毎年1万8千件、毎日50件の殺人事件が発生している凶悪犯罪発生率世界第1位の国である。特にヨハネスブルクは、世界一治安の悪い街として知られ、外務省公表の安全情報にも「ヨハネスブルグのダウンタウン地区では、殺人、強盗、恐喝、暴行、性犯罪、強姦、ひったくり、麻薬売買等の犯罪が、日常的に発生しています。」とされている。留学先としてメジャーなケープタウンについては、これほど悪くない にしても、「犯罪件数は高水準で推移しており、主に強盗、窃盗、引ったくり、置き引き、ATM詐欺(親切を装った窃盗やスキミング)などの一般犯罪が多発しています。また、外国人観光客で賑わうウォーターフロント地区や市内高級ホテル、レストランでも置き引き等の邦人旅行者の被害が多数報告されていますので注意が必要です。」とのことなので日常生活においても大きな注意が必要と言えるだろう。
物価
アフリカ諸国と比較すると高い印象を受けるかも知れないが、日本と比較するとかなり安く、約半分程度を目安とするといいだろう。但し、物によってはそれほど日本と違わないものや、もっと3分の1以下のものまで様々ある。
交通
南アフリカは、アフリカの国とは思えぬほど交通網は整備されており、各都市間のバス網はかなり発達している。BazBusと呼ばれるミニバスが安価で利用しやすく、市内交通としては、バス、タクシーと、リッキーと呼ばれる小型トラックを改造したような乗り合いタクシーがある。
言語
南アフリカ共和国では、1994年の選挙前は、英語とアフリカーンス語の2言語が公用語だったが、以後黒人言語9つが追加され、現在では11の言語が公用語として存在している。英語を母国語としている人口自体は多数ではないが、留学生や観光客が訪れるような場所では、ほんとど英語が通じるため、生活で困ることはほとんどないだろう。
時差
南アフリカ共和国では、1994年の選挙前は、英語とアフリカーンス語の2言語が公用語だったが、以後黒人言語9つが追加され、現在では11の言語が公用語として存在している。英語を母国語としている人口自体は多数ではないが、留学生や観光客が訪れるような場所では、ほんとど英語が通じるため、生活で困ることはほとんどないだろう。
電圧について
南アフリカ共和国の電圧は、220/240ボルトのため日本国内の電化製品を使用する場合は変圧器が必要。プラグは、3本の丸いピンタイプでB3タイプに似ているが、サイズが異なるため現地にて購入すること。日本での購入はできない。
電話について
南アフリカ共和国の国際電話アクセス番号は、「09」である。現地より日本に電話をかける場合は、「09+81(日本の国番号)+電話番号の最初の0を取った番号」にてかけることができる。公衆電話はコイン式とカード式の2種類があり、どちらも50cから利用可。国際電話もかけられる。テレホンカードは電話機に挿入するタイプとしないタイプの2種類がある。日本から南アフリカに電話をかける際は、国番号が「27」となる。
タバコ・お酒について
南アフリカ共和国では、お酒は18歳から飲酒、タバコは16歳から喫煙可能となっている。
郵便
郵便局の営業時間は、月~金曜の8時30分~16時30分と土曜日の8時~12時。国際郵便の場合、民間のPostNet の方が早く届く。日本からの郵便は確実に届けるためにもEMSを利用するようにしよう。
祝祭日
プレトリア

北西部に位置する都市で人口は100万人。中心部にあるチャーチ・スクウェアは、行政の中心拠点となっている。その他、議事堂、裁判所、古い銀行など多くの素晴らしい建物に囲まれており、そのどれもがオランダやイギリスの統治下だった頃の面影を残し、ヨーロピアンスタイルのデザインが施されている。また、市内にはたくさんの緑があり市民の散歩コースとして賑わう。その他、大学や博物館なども存在し教育面、文化面でも充実した施設が備わっている。しかし、賑わいの有る中心地から一歩外れるとそこは治安が不安定な部落。男女問わず一人歩きや、夜の外出、繁華街以外の場所への立ち入りは避けることが最適。周囲には常に細心の注意を払いながら行動しよう。
最高気温
最低気温
ケープタウン

西部に位置する人口300万人以上の街。国内で最も古く、テーブルマウンテンの麓に位置しており、大きな港やたくさんの高層ビルがあるにぎやかで文化的な街。大西洋側の海岸には美しいビーチが広がり、レストランやバー、大きく豪華な家などが多く建つ。また、ハイキング道や街からも簡単に行くことのできる散歩道もたくさん存在する。ヨーロッパ方面からの観光スポットとしても高い人気を誇る。他都市同様、夜の外出、繁華街以外の場所への立ち入り、大金を所持しての行動は避けて行動したほうが良い。
最高気温
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ヨハネスブルク

北部にある国内最大の都市。アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃後もその後遺症が消えないこの街では、中心地はもはやゴーストタウン化し、世界一危険な町となっている。ダウンタウンでは様々な犯罪が多発しているため、昼夜問わず中心街を歩く人は居ない。その中でもヨハネスブルグパーク駅周辺は最も危険なエリアと指定されており、現地に住んでいる住人はもとい、海外から訪れる人々は絶対に避けるべき場所となっている。郊外に行けば治安は比較的安定しているため多くのヨーロッパ人も住んでおり、観光客が滞在可能なホテルなどの施設が設けられている。
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